おかげさまで、腰の具合も少しよくなり、もう結構普通に動けるようになりました。
かかっている先生からは
「これからが一番危ないので、動けるようになったからと言って油断してあまり動きすぎないように」
とクギをさされました。
沢山の方から、励ましのメッセージをいただき、ありがとうございます!
さて、あまり活発に外に出られず、の毎日ですが、実は家にいるのが好きな私は、特に分厚い週末の新聞をゆっくり読んだりしています。
ストラトフォード・アポン・エイヴォンにある、シェークスピアの生家の庭に生えていた木を使って作ったティーキャディー。
これが、ロンドンのクリスティーズのオークションで13750ポンドで競り落とされたという話です。
日本円だと200万以上。
木が切り倒された4年後、1760年に、ジョージ・クーパーによって作られたこのキャディには、シェイクスピアの胸像と紋章が彫られているそう。
ティーキャディとは、昔、まだお茶が非常に高価だった頃、盗難防止のためにお茶を鍵がかかる箱にしまっておいた、その箱のことを指します。
もとはキャニスターとよばれる、銀や陶磁器製の入れ物にいれていたお茶を、キャニスターごとしまうボックスだったのですが、後に単なる鍵がかかるボックスの形になりました。
上の写真は、ヴィクトリア&アルバートミュージアムにあるシルバーのティーキャディです。
これは我が家にあるティーキャディのひとつ。
中はこんな風になっているんですよ。
ずっと義父母の家の棚に飾ってあったのですが、私がこんな仕事をしていることから、義父母が相談して昨年のクリスマスに私にプレゼントしてくれました。
アンティークには、それぞれ味があって、どんな人が使ってきたのかな、なんて考えるのも楽しい。
アイテムによってはある程度どんな人が使っていたのか想像つくものもあります。
でも、家族に伝わってきたものは、より近しく感じますので、愛着が違いますね。
ものにもよりますが、周囲のイギリス人を見ていると、家に伝わる古いものを全部長男に残そうとか、自分の娘に残そう、と考えるわけではなく、どちらかと言うと、それを持つのにふさわしい人、興味を持って大事に使ってくれそうな人に託していくこともあるようです。
以前、義母の親しい友人マージョリーのロンドンの家でアフタヌーンティーに招かれたとき、とても素敵なシルバーのポットでお茶を注がれたので、思わずじっと見とれてしまったら、
「このポットはあなたのご主人のお祖母さまから形見にいただいたものなのよ」
と言われてびっくりしました。
外交官の娘として外国暮らしも長く、とてもエレガントな女性のマージョリー。
私たちの結婚式でお会いした時から素敵な人だな、と思っていたのですが、かなりヴィクトリア時代的な価値観を持っていた夫の祖母は、自分のポットを3人の娘でも一人息子でもなく、彼女に託していたのです。
そしてそのポットは、飾ったりしまいこまれることなく、エレガントなマージョリーの手で磨かれ、使われています。
誰かの思い出も一緒にしながら、好きなものを身近において使う。
それはアンティークでなくても、親や大切な人からのプレゼントでも同じかもしれませんが、豊かな気持ちにしてくれますね。
旅先で見つけたちょっとしたものもそう。
持ち帰れる程度の小さいものでもいいので、旅先で何かちょっとしたアイテムを自分のために買うのが私は好きです。
今、日本では、物は買わない、増やさない、どんどん捨てるっていうのがいいとされてますけど、イギリス人の義母なんか、恐ろしいくらい古いものをみーんな取ってあります。
夫が小さい時に作った鉛の兵隊さんまで。
地震があったり、収納に限りがあったりという条件の違いもあるのでしょうけれど、私は義母同様、そう簡単に物が捨てられない方で、だから家の中はごちゃごちゃです。
それでも
「これを買った時は楽しかったわ、お天気が良くて」
なんて考えながら、お気に入りのカップでお茶を飲んだりするのがやっぱり好きです。